参考文献:人形師「原舟月」三代の記 絵守すみよし 著
 初代 原舟月(法眼※1
名前樋口舟月(ひぐちしゅうげつ)
幼名は不明だが、通称を金五郎といった。
出生 不詳(享保?年)
没年 寛政元年(1789年)9月9日京都にて没 寛政三年(1791年)との説もあり。
作品 現存するものはほとんどなし。
生涯泉州堺(大阪府堺市)の出身で、狩野波の絵師として、また根付師※2として活躍していた。
安永七年(1778年)頃に、人形師として妻とともに大阪から江戸へ下り、安永八年(1779年)に日本橋の十軒店※3に雛人形店を開き、従来の俗に「古雛」と呼ばれた人形よりも、華美を尽した「古今雛」を売出した。腕も良く店は大繁盛したが、江戸では造られてはいなかった、御殿雛を手がけたことにより、奉行所に呼出されわずか七年の江戸滞在で江戸所払い(江戸追放)となってしまった。
※1:法眼(ほうげん)とは僧の階級の一つであり、また江戸時代、医師、絵師、連歌師などに授けた称号のこと。

※2:根付(ねつけ)とは着物を日常的に着ていた時代、お金を入れるための巾着やたばこ入れや水戸黄門でおなじみの印籠(いんろう)などを帯から提げて持ち歩く時に、それらの提げ物は落ちないように紐で留め具に結び付けて着用したが、その留め具を根付という。

※3:十軒店(じっけんだな):「寛永江戸図」に「十間たな」と記された、日本橋北側の石町(こくちょう)2,3丁目と本町(ほんちょう)2,3丁目に挟まれた通りの両側に面した町で、江戸時代の初め、桃の節句・端午の節句に人形を売る仮設店舗が十軒あったことからその名があると言われている。 現在も人形店がいくつかある。