参考文献:人形師「原舟月」三代の記 絵守すみよし 著 |
三代目 原舟月(法橋※1) (古今斎原舟月) | |
名前 | 原徳太郎、通称を初代と同じく金五郎と名乗った。あだ名は、「お嬢っ子」。5歳の時に母親を亡くし、母親代りの姉が年頃になっても、女物の服を着せていたかららしい。 |
出生 | 文政9年(1826)1月11日 |
没年 | 明治32年(1899)3月31日 |
作品 |
・神田祭十一番 豊島町「豊玉姫」1861年作 1904年に「久月」で修繕 ・神田祭二十七番 神田鍛冶町「三条小鍛治」 ・山王祭七番 本町四丁・岩附町・本革屋町・金吹町「弁財天」 ・山王祭十番 室町三丁分・本船町・安針町・本町三丁目・裏河岸「加茂の能人形」181890年頃の作 ・山王祭十二番 日本橋西河岸「武内宿禰」(たけのうちのすくね)1915年以前の作 ・神田祭二十四番 通四丁分・呉服町・元大工町「神功皇后」 ・埼玉県本庄市仲町「龍女人形」明治5年(1872)作 電線に触れ落下。 ・東京都八王子市八日町一・二丁目「雄略天皇」明治10年代の作(解体済み) ・東京都八王子市八木町「天穂日命」(あまのほひのみこと)明治24年(1891)の作(解体済み) ◆以下現存する山車人形(ピンク色のリンクは写真あり) ・茨城県石岡市中町(現在の国府三丁目)「日本武尊」明治29年(1896)の作 ・栃木県塩谷郡氏家町 旧氏家石町「三条小鍛治と子狐丸」 ・栃木県宇都宮市本郷町「神功皇后と赤子(応神天皇)を抱く武内宿禰」明治元年(1868)に本郷町(現、小幡町一丁目)に舟月が移住し、同三年まで製作にあたった。山車は1845年の建造で2度の改造により、高さが低くなっている。 ・栃木県佐野市久保町「福禄寿」 山車は安政4年(1857)の建造 ・栃木県栃木市萬町(よろずちょう=万町)一丁目「劉備玄徳」(りゅうびげんとく)→「天照大神」(あまてらすおおみかみ)明治26年(1893)の作。萬町一丁目から三丁目の有志が山車3台を同時発注。人形は三国志に因んだものとしたが、日清戦争が勃発し、敵国の英雄を飾ることに異論が出て、天照大神の人形に替えられた。なお劉備玄徳の人形も現存している。 ・栃木県栃木市萬町(よろずちょう=万町)二丁目「関羽雲長」(かんううんちょう)→「日本武尊」→「関羽雲長」山車と共に明治26年(1893)の作。萬町一丁目と同じ経緯だが、今は元の関羽雲長に戻されている。 ・栃木県栃木市萬町(よろずちょう=万町)三丁目「張飛翼徳」(ちょうひよくとく)→「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)山車と共に明治26年(1893)の作。萬町一丁目と同じ経緯だが、人形を馬に乗った豊臣秀吉に替えられたが、秀吉が小さく見えるのでさらに、素戔嗚尊に替えた。 ・栃木県栃木市倭町(やまとちょう)二丁目「神武天皇」明治26年(1893)の作。山車は地元の大工作。 ・群馬県多野郡新町仲町(二区)「武内宿禰」明治15年(1882)の作。同じ新町の橋場町(三区)の屋台も三代目が建造している。 ・埼玉県所沢市御幸町「関羽と周倉」作年不明。明治10年(1877)頃に八王子市より東京都西多摩郡瑞穂町(当時の石畑村)に売却。これを所沢市御幸町が明治43年(1910)に購入。 ・埼玉県所沢市元町本町「加藤清正」作年不明 慶應3年(1867)に修復の記録あり。 ・埼玉県川越市幸町(金山会)「小鍛治」作年不明 天保6年(1835)に修復の記録があるので、二代目の修復の可能性が高い。山車は明治初年に三代目が建造。 ・埼玉県飯能市原町「神武天皇」明治15年(1882)建造の山車に当初は御幣(ごへい)が飾ってあったが、明治24年(1891)より三代目作の神武天皇を乗せる。 (原町自治会の情報):明治15年地元の松本重助・寅八両氏の手に依り三重高欄の山車を建造。当時は氏神様である八幡神社の御幣を乗せていた。明治25年(1892)に三代目作の神武天皇を人形を乗せ、同時に二重高欄とする。昭和55年(1980)に囃子台を入母屋造り屋根に改造。 ・埼玉県本庄市仲町「神武天皇」明治5年(1872)に山車を作成。当初の龍女人形が壊れてしまったので、明治24年(1891)に三代目に再発注。山車も改造した。 ・埼玉県本庄市宮本町「日本武尊」山車と共に明治15年(1882)に製作。 ・千葉県佐倉市仲町「関羽」山車は文政9年(1826)の建造で明治12年(1879)頃に東京日本橋より購入。老朽化のため曳き出される機会は少ないが、レプリカがある。 ・千葉県佐原市舟戸区「神武」明治20年(1887)作。何度か手直しをしている。江戸時代に造られた山車は、佐原市に寄贈されて保管。現在の山車は平成9年(1997)の建造。 ・東京都八王子市横山町三丁目「羅陵王(織田信長)」(らりょうおう)明治初年作。織田信長が中国南北朝時代の古舞「羅陵王」を勇壮に舞う姿を描いたもので、大正以降は祭礼の際に御神酒所に飾られていたが、平成8年(1996)8月に横山町三丁目の山車再建披露でこの人形が70数年振りに飾られた。 ・東京都八王子市上八日町「素戔嗚尊」明治16年(1883)の作。山車は空襲で焼失したが、人形の頭と衣装が残り、平成13年(2001)に埼玉県岩槻市の人形師により胴体と手足を復元。現在の山車は昭和60年(1985)建造。 ・東京都八王子市八幡町一・二丁目「神武天皇」明治19年(1886)の作。 ・東京都青梅市本町「神功皇后と御子(応神天皇)を抱く武内宿禰」 ・東京都青梅市藤橋「三人立の山車人形」 |
生涯 | 二代目舟月の長男であり、10歳の時に病床の二代目から跡を継ぎ、名匠とうたわれるまでになり、数多くの山車と山車人形を残す。 栃木県内の山車作品が多く、明治の最初のころには、宇都宮市に移り住んで製作に携った。 何度か結婚しているが子供はなく、跡継ぎもいなかったため、三代で終り。四代目にふれている書物もあるが、間違いのようだ。 三代目が亡くなっても、日本橋十軒店の人形店は賑わいを見せていたが、没後5年経った明治37年に日本橋三越が新装開店し、雛人形を正札販売にて扱うようになり、江戸時代より続いた伝統ある雛市が、急速に衰退していったそうです。 |
※1:法橋(ほうきょう・ほっきょう)とは初代のところで説明した法眼(ほうげん)に次ぐ位。 |