本町(もとまち)
人 形石橋(しゃっきょう) お面は、羽生光長
・能の演目のひとつで、仏跡を訪ねて寂昭法師が入唐、清涼山に至り有名な石橋(しゃっきょう=自然に出来た橋)を見つける。自然の流れが岩を貫流し、谷の深さは数千丈、長さ三丈余、幅一尺足らずの橋の向こうは文珠菩薩の浄土。しばらく拝んでいると、文珠に仕える獅子が現れ、満開の牡丹に狂い舞う奇瑞を見るという能の大曲のひとつ。
作 者浪速屋七郎兵衛
製造年明治28年
お囃子大間、篭丸、屋台囃子、数え唄、通り囃子、ヒョットコ囃子
検 証 【昭和54年頃の観光パンフレット】に記載されている解説
・人形の作者:武田縫殿介兼清
・明治27年の製作の山車で本町として2台目の山車という。
平成17年のパンフレット】に記載されている解説
・山車の作者:浅草 浪花屋庄田七郎兵衛
・山車制作年:明治28年(人形・翁)
・石橋人形制作年:昭和3年
・明治初期に曳物から江戸型山車「関羽」に替わり、明治28年日清戦争の戦勝記念に「翁」(武田近江大掾清廉作)山車を購入、更に昭和天皇御大典を祝して人形を「石橋」に変えた。
特 徴・人形の石橋(しゃっきょう)は、お面が変わる様になっています。ところが3日のお昼に金鑚神社を出発する時は獅子口の面であるため、獅子口の面を外した素顔の写真は探しても1枚しかありませんでした。子供の頃に聞いた話では、金鑚神社に向かうときはお面をはずし、金鑚神社から出発するときは、獅子口の面をかぶるそうです。昭和54年頃の観光パンフレットに偶然髪の無い素顔が写っていました。宮本町の山車から離れることが出来なかったので他の町内の山車は良くわかりません。もう1枚素顔を見つけました。
・2006年の山車人形展で、素顔を間近で見ることが出来た様です。
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